国内の旅

2010年1月25日 (月)

浦賀

品川から京急に揺られて約1時間、三浦半島の浦賀に行ってきた。入江のように入り込む海によって町が東西に分かれている浦賀では、全国でも珍しく渡し船による海の道が市道となっている場所がある。

浦賀駅を降り、2003年に閉鎖されたという浦賀ドッグを右手に、町の西側を10分ほど歩くと、西渡船場に着く。 053    

船は絶えず東西を行ったり来たりしており、乗る人がいないときはどちらかの岸で待っていることになるので、待合室には船を呼ぶボタンもついている。

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渡し船は赤い小さいな船で、自転車を置くスペースもあった。確かに浦賀の町を行き来するには便利な船だと思う。因みに料金は150円。

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浦賀の名は何と言っても、1853年の黒船来航で有名であろう。当時、鎖国政策をしていた江戸幕府の首脳陣は、ペリー提督率いるアメリカの蒸気船が日本に来ることを事前に知っていたとういう。オランダ船と同様、アメリカ船も長崎にやって来るだろうとたかをくくっていたのだが、実際は黒船が東京湾の入り口まで来てしまい、江戸市中を大混乱に陥れる。

そこで一躍クローズアップされるのは、浦賀奉行だった。浦賀奉行所は1720年、それまで下田にあった奉行所が移されたものである。「入り鉄砲」を警戒した江戸幕府は、江戸の経済活動がますます活発になるに伴い、船の積荷の監視を厳しくする必要があったため、江戸の喉元とも言える浦賀水道ににらみを利かすことのできる、浦賀の地に奉行所を設置したという。1720年は、暴れん坊&米将軍8代吉宗が将軍になってから4年目であった。

浦賀の町では、至る所に中島三郎助の記念碑がある。中島はペリー来航時の浦賀奉行与力であり、初めて黒船に乗り込んだ日本人でもあった。

ペリー提督の艦船サスケハナ号は下田港にもあったが、浦賀の渡し船からも見られた。

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