映画・テレビ

2011年1月31日 (月)

ソウルキッチン

ファティ・アキン監督の『ソウルキッチン』を見た。

多国籍都市であるドイツのハンブルクのレストラン。ギリシア系移民のオーナーは、次から次へと問題にまきこまれるが、なんだかんだでうまいことおさまり、ハッピーエンドとなる。軽快なストーリーが展開するいかにも映画的な映画で、とても面白かった。ヨーロッパ映画とハリウッド映画の差なのかもしれないが、個人的には先週見た『ソーシャルネットワーク』よりも純粋に面白かった。

『ソウルキッチン』に出演している俳優は監督の知り合いが多く、いつもつるんでいる仲間と一緒に映画を撮ったような感じ。監督のアキンは36歳で、史上最年少で世界三大映画祭のタイトルを受賞したそうだ。





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2010年6月30日 (水)

ボローニャの夕暮れ

プーピ・アヴァーティの『ボローニャの夕暮れ』(原題Il papà di Giovanna)は、ファシスト政権時代のボローニャを舞台に家族というものの本当の姿を描いている。

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恋愛とも縁遠い内気な高校生ジョヴァンナはクラス一人気の男子生徒ダマストリに恋をする。自分が通う高校の美術教師でもある父親ミケーレに勇気付けられた彼女は、ダマストリにも愛されているのに親友マルチェッラが邪魔をしているとの妄想を抱き、マルチェッラを殺してしまう。そして裁判で精神的に障害があったと判断されたジョヴァンナは、有罪判決の代わりにエミーリアの精神病院に入れられる。

進級を餌にダマストリとジョヴァンナを近づけたとの自責の念に駆られたミケーレは、ジョヴァンナが入れられた精神病院へ献身的に通ううちに、娘の病気の原因は父親の溺愛ぶりにあるのではなく、実は美しい母親デリアへの憧れと劣等感にあったことがわかる。同時に、デリアは本当に自分を愛しているのではなく妻という義務を果たそうと懸命になっていることに気付いたミケーレは、折しも戦争がはじまり空爆で妻を失った友人のセルジョにデリアを託し、エミーリアに移り住む決心をする。

一方、ムッソリーニ政権崩壊後、北イタリアにいわゆるサロ共和国ができると、元カラビニエリのセルジョはデリアを連れて北イタリアに行くことにする。内戦が終わりセルジョはパルチザンの人民裁判で銃殺刑に処される。一方ボローニャに戻ってきたミケーレとジョヴァンナは、好奇の目にさらされながらも徐々に普通の生活に戻っていく。7年が経ちジョヴァンナの精神状態も通常になってきたころ、ミケーレとジョヴァンナは映画館でばったりデリアに出会い、結局3人で一緒に暮らすこととなる。

ジョヴァンナの精神病の原因やダマストリへの想いが、途中で説明されずに元に戻っているのは釈然としなかったが、実は表面的なコミュニケーションしかとれていなかった親子3人の絆の深さがうまく描かれている。セルジョを見殺しにしたり、裕福そうな男を見つけたりと要領よくやっていそうなデリアも、ミケーレが言うように見かけよりもずっと心優しく、家族を愛し母親としての義務感を持った女性である。最後にジョヴァンナがはにかんで「ママももしよかったら、一緒に帰らない」と言った時の、デリアの微笑みはそうした彼女の性格を象徴するかのようである。ミケーレ役はナンニ・モレッティの『カイマーノ』で主人公役をやったシルビオ・オーランド、セルジョ役はイタリアの人気ヴァラエティー番組「ストリーシェ・ラ・ノティーツィエ」の司会を務めるエツィオ・グレッジョ。この2人を見たときは、コメディーかと思ってしまった。

ところで、1927年5月「昇天祭演説」でムッソリーニは当時4,000万年であったイタリアの人口を1950年には6,000万人にすると宣言。これを達成するために、結婚と出産を奨励、それらは社会的義務であり、責任であるという状態を作り上げる。1926年に出産コントロールは公的に禁止、避妊用品の販売と中絶が非合法化される。1933年には「母と子の日」(12月24日)が設けられ、1931年の刑法では避妊と中絶は、「種族の一体性と健全性に対する犯罪」とされる 。『ボローニャの夕暮れ』の舞台設定は1938年、ファシズムの膨張政策が頂点に達した時期でもあり、それはまた人口増加が国民・国家の力の源泉であると考えられ、そのために母親としての義務と責任の強制が頂点に達した時期でもあった。美しく男を惹きつけながらも、妻としての、そして母親としての役割と義務にとらわれているデリアはまさにこの時代の理想とされた女性像であり、監督のアヴァーティはここらへんの史実もよく考慮しているのかもしれない。

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2010年6月19日 (土)

マルコ・ベロッキオ『夜よ、こんにちは』

1978年、共産党との「歴史的連合」を目前に控えたキリスト教民主党党首アルド・モーロが誘拐された。犯人は極左グループ「赤い旅団」で、誘拐の55日後モーロの死体が共産党本部とキリスト教民主党本部の中間地点で発見されることになる。

この「モーロ事件」を犯人の一人である若い女性の視点から描いたのが『夜よ、こんにちは』である。図書館に勤めるキアーラは、他の3人の「赤い旅団」メンバーとともにモーロを監禁する。現実とキアーラが見る幻、そしてパルチザンに参加しナチ・ファシズムに殺害されたキアーラの父の姿が、交互に映し出されることで、公務員でありながら「赤い旅団」に参加しているキアーラの葛藤がうまく描かれている。

またモーロが監禁されていたアパートは、調べてみるとローマのマリアーナ地区で、昔住んでいたところの近くであることがわかった。よく新聞を買いに行くタバッキから目と鼻の先であり、よく通った道でもあった。確かに映画のラストでキアーラが見る幻で、モーロが監禁場所を抜け出して外を歩くシーンがあるが、その背景にはエウロの博物館が映っていた。懐かしい。

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