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2012年8月

2012年8月22日 (水)

リーダーの不毛地帯ー代表者不在の土地ー

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年8月19日

最近(6月)のEU首脳会議でモンティ首相が果たした役割は、1950〜60年代にイタリア南部の有力政治家たちがとっていた戦略を思い出させる。それは「票を得るために故国を捨てる」つまりローマの権力に懸命に働きかけて国家の補助を自分の地盤に導き地元で名声を得るという戦略であった。

彼ら南部の有力者たちは、権力(特に財政面で)は中央にあるということを熟知し、そこを管理する一握りの人と関係を結べば(そして彼らの言葉を身につければ)権力に影響を与えられるということも理解していた。権力から利益を引き出して地元に戻れば、自分のイメージや票を「得る」ことができたのだ。彼ら南部の有力政治家たちは地元にのためも、第1共和制の間ずっとそうしてきたし、そのようにして失敗することはなかった。

状況も違うし、何よりも背景となる文化教養やスタイルが大きく違うとはいえ、イタリア首相モンティは彼らと同じ戦略を採用した。決断が下される場所に赴き話しをつける。モンティは、権力のサークルと接触し、関係を保ち、言葉を使うすべを心得ている。一見すると、慣れた普段の環境から飛び出して必死に頑張っているようにみえるが、実際は彼にとってより親しみのもてる環境にいるのであり、よい結果も出している。モンティは勝者の奢りなどは見せず、必要不可欠な存在であるといった雰囲気(イタリア中で、国際社会で動くすべを心得ているのはモンティしかいないということは、誰の目にも明らかである)でイタリアに戻ってきた。権力を持った国際社会でイタリアの首相がこれほど重用視されていることを歓迎しない人はほとんどいなかった。

しかし、ここでここ10年のイタリア南部の状況に目を転じると、結局は共通の文化や政治家の論理がなくなりリーダー層が貧困化してしまう危険について考えざるを得ない。ローマとの仲介による有力者たちはもうすでに存在せず、彼らの代わりに政治的不毛が横たわっている。対立もなければ提案もなく、政治綱領もない。そこには、ほぼ例外なく無様な個人的争いに収斂する権力闘争があるだけである。もはや地方では何もあてにできず、故国を捨てるほどの文化的・政治的才覚なども存在しない。

同様に、南部以外のイタリアでも「モンティ後」(誰もが出来る限り後に延ばしたいと思っている)に不毛な一角ができてしまう恐れがあるのだ。現在勢力を持っている政治家たちは政局を安定させ中期のプログラムを策定しようなどとはまったく思わず、彼らはまるで南部の現実のように不毛ではかない存在に見える。イタリア社会はこのような政治的空白に苦しみ、現実的に妥協をするべきか、それとも政治家の決定力不足に怒りの声をあげるべきかで、迷っている。

このように見るとすべてが曖昧なため今後何年間かイタリアは困難な時代を迎えると予測できる。外国の前線に駐屯するだけでは十分でなくなるだろう。リーダー層がしっかりとした考えを持って、社会・経済・政治に新たな活力を与えること、つまり国内の前線で「武装する」(集団の感情という意味でも)ことが必要となるのだ。さもなければ、巧みに交渉をしながらも間違った方向へ進んでしまう運命から逃れられないだろう。

ジュゼッペ・デ・リータ(Giuseppe De Rita)
(原文)
I TERRITORI SENZA RAPPRESENTANZA
Il deserto dei leader

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2012年8月15日 (水)

まじめなウォッチ・ドッグ(番犬) ー選挙キャンペーンと政党の政策

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年8月9日

秋には長い選挙キャンペーンが始まるだろう。もちろん、どの政党も重要なことは何か自覚している。イタリア国民に目を向けるだけでなく、ヨーロッパの世論と国債市場にも訴えなければならないのだ。ドイツ、オランダ、フィンランドなどの国家が、要望を直接伝えてくるというわけではないが、これらの国の評価は、EUの決定に多大な影響を与えている。また、国境を越えて活躍する投資家は、イタリア国債を売買することによって「投票」に参加する。彼らの影響も絶大である。

イタリアのあらゆる問題は結局のところ、デフォルトを回避できるのか、それとも外国に救済を求めて国家主権への屈辱的な制限を受け入れなければならないのか、という選択に収斂する。たとえばフランチェスコ・ジャヴァッツイは、イタリアが懸命に努力するなら、まだ「自分たちだけで何とかできる」(『コッリエレ・デラ・セーラ』2012年8月4日)と主張している。来るべき選挙戦におけるそれぞれの政党の選挙政策は、この二者択一の問題にどう関わっていくかによって評価されることになるだろう。

ユーロ圏内の経済的強国の世論や市場の関心は、イタリア政府の統治能力と責任感である。統治能力は変更される選挙制度次第である。それ故、どのようなシステムに変更されても、選挙後すぐに首相と内閣を決定できるような安定的な与党を作り出せるような選挙制度に改革すべきである。

新しい内閣の仕事は、政党が提案する政策にかなりの程度左右されるだろう。イタリアでは選挙マニフェストは冗長だがごく一般的な内容で、政党連合を形成してそれを保つことくらいにしか役立っていない。一方イタリア以外の国では、マニフェストは専門的に細かいところまで議論されて作られ政府のプラットフォームとしての機能を果たしているうえ、「ウォッチ・ドッグ(番犬)」の役割を果たす独立組織も存在する。最も顕著な例として、オランダにはオランダ経済政策分析局(CPB:Netherlands Bureau for Economic Policy Analysis)があり、各政党の選挙政策をふるいにかけて調査し、現状からどう変わるのか評価する。例えば、ある政党の政策が実現される場合、国家財政、家計、企業の利益、環境などにどのような影響を与えるかなどを調査・分析するのだ。CPBの評価は選挙の2ヶ月前に公表される。一旦公表されればどの政党も口から出まかせを言えず、選挙の争いは、専門家の分析によって整理された選挙政策と各政党の政策の違いに集中するのだ。

政治政策を入念に仕上たりそれをチェックしたりする能力は、一朝一夕で身に付くものではない。数ヶ月後に控えたイタリアの次期選挙でいきなりオランダやドイツのような論争スタイルと質の高さに到達できるものではない。また外国から注目されることに慣れているとはいえ、今回は特にそれが厳しくなるだろう。上辺だけの議論で喧嘩早く、序論も結論もない単なる言葉のやり取りという、イタリアの論争スタイルは、今回は高くつく恐れがある。

これに対処するのは、何よりも、そして当然のことながら、政党自身の仕事である。特に欧州の経済危機に対応するために形成された現与党の役割でもある。専門家内閣という特徴を持つ現政府の役割も重要で、例えば政策の重要なテーマについて専門家の見地から実現可能な解決策を文書によって提示することもできる。

こうした政策プログラム(マニフェスト)は、結局は来春にEUに提出することになるであろうイタリア改革プログラムの準備作業を前倒してして行うに過ぎない。それ故、各政党には具体的なテーマについて実現可能な解決策で対応することが求められている。

さらにいうと、共通通貨ユーロの消滅やイタリアのユーロ脱退の可能性について言及し、その場合どれほどの損害が生じるかを数値を元に説明することも有益になると思われる。次期選挙では反EUを公に主張する政治グループがイタリアで初めて出てくるだろう。それらのグループには、提案内容を公にしそれがもたらす結果を証拠立てることが求められるだろう。

また敢えて言うまでもないことだが、各政党の提案がどれほど真剣かチェックする「ウォッチ・ドッグ(番犬)」の役割は、分野毎に枝分かれして市民や有権者が努めることもできる。選挙の結果、実際に恩恵受けたり犠牲を被ったりするのは有権者であるのだ。そして今回は特に、有権者の評価に外国の視線は注がれているのだ。

マウリツィオ・フェッラーラ(Maurizio Ferrera)
(原文)
CAMPAGNA ELETTORALE E PROGRAMMI
I cani da guardia della serietà

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2012年8月12日 (日)

イタリア統一 1848-61年

1848-49年にイタリア中で勃発した革命が失敗に終わった後、正統的な君主が復帰して「第二次王政復古期」が始まる。この時期のイタリア半島ではオーストリア帝国の覇権が確立し、国家内での改革の試みが阻止されて経済発展が抑えられた。そして君主と(中産階級の)世論との間の断絶は深まり、特に両シチリア王国及び教皇領(教皇国家)で顕著であったが、全イタリアで抑圧専横的政策が取られるようになった。

その中でピエモンテ王国の状況だけは違った。憲法制度が保たれていたことに加え、オーストリアとの平和条約(1849年8月のミラノ平和条約。オーストリアへの賠償金支払いを規定)承認に関する国家内の危機を乗り越えたダゼーリオ政権が国家の近代化に着手したのだ。特に教会との関係においては、1850年2月にはシッカルディ法が承認されカトリック教会の特権が廃止された。また同じく1850年にカヴールが農相大臣として初の政権入りを果たした。その2年後に首相となるカヴールは、自由競争の長所への信頼と新しい実践的自由主義の考えに刺激をうけ、広い文化的視野と経済問題についての深い知識を持った政治家であった。政府の軸を左側に移した(ラッタッツィと「同盟」を結んだ)カヴールは、何よりもまず自由貿易の導入による経済の近代化に着手し、国家による産業保護、信用制度の再編成、公共事業などの政策を行う。憲法に基づく自由の維持と経済発展、イタリアの他の国家からの亡命者の受け入れなどによって、カヴールが率いるピエモンテ王国はイタリア半島中の自由主義者の拠り所となった。

1848-49年の敗北の後も、蜂起による独立と統一への到達を目指すマッツィーニの不屈の活動は続いた。しかし彼の戦略に起因する失敗が相次ぎ、民主派の中でも次第にマッツィーニに対する批判が高まってきた。中でもピスカーネは「社会主義的」な考えによる国家解放を主張し、彼の一派はイタリア南部の圧迫された大衆に訴える。だがピスカーネが指揮したサプリ遠征(1857年)は、南部の大衆の反感によって悲劇的な結果に終わった。一方この失敗により、サヴォイア王家(ピエモンテ王国)との同盟が国家統一を成功させる唯一の道だと考えるグループが、民主派の中で力を強めることになる。(1857年にはマニンの提案により「国家連合」が創設された)

クリミア戦争及びパリ国際会議(1855-56年)へのピエモンテ王国の参加によって外交的成功を収めたカヴールは、イタリア半島からオーストリアを駆逐するためにはナポレオン3世の支持が欠かせないと確信していた。オルシーニによるナポレオン3世暗殺未遂事件の結果、(イタリアの愛国主義を重く見たナポレオン3世の意向によって)対オーストリア戦争を視野に入れたフランス・ピエモンテ間の軍事同盟が1858年にプロンビエールで締結された。この同盟のおかげで翌年4月の対オーストリア戦争はフランス・ピエモンテ同盟に有利に運んだが、ナポレオン3世が突然単独でオーストリアとビッラフランカの休戦条約を結んだため、ピエモンテ王国はロンバルディア地方のみしか獲得できずに終戦を迎える。エミリア、ロマーニャ、トスカーナ地方獲得のためには、イタリア北中部で反オーストリア暴動を起こすなど、新たな状況を作り出さねばならなくなった。

一方、休戦条約に不満を感じた民主派の人々は、(ピエモンテ王国から半ば独立して)イタリア南部への派兵によって闘争を続けようと考え始める。1860年5月にはガリバルディが千人の志願兵を指揮してシチリアに上陸し、ブルボン王朝軍を破って臨時政府を樹立した。初めはシチリア中で「解放者」を歓迎したが、何よりも土地所有関係の変化を望む農民の熱望により、そうした融和の時代はすぐに終わりを告げた。そして農民の暴動を恐れた土地所有者は、シチリアがピエモンテ王国に編入されるのを望むようになる。

ガリバルディはその後、カラーブリア地方に上陸しブルボン朝の首都ナポリを陥落させる。この状況でピエモンテ政府は、ガリバルディの遠征が国際問題に発展するのを避けるため、またサヴォイア王家がイタリア半島の状況を確実にコントロールできるようにするために、動かざるを得なくなる。軍を介入させ、ガリバルディ軍と南部国家をピエモンテに編入するすることで、南部の解放はカヴールの政策に従うこととなる。そして1861年3月17日に、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア王を宣言する。


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水資源問題キャンペーン ー万博の機会にー

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年8月8日

欧米主体の自由主義経済が限界を露呈し欧州は通貨危機に直面してきたここ4年間、気候変動や汚染など地球上のその他の問題は片隅に押しやられてしまった。しかしそうした状況でも水資源の問題だけは以前と変わらず注意を惹いているようだ。欧州の多くの地域で飲料水が不足しアフリカではトウモロコシや大豆の収穫に打撃を与えた旱魃を見ればわかる。サウジアラビアが原油に対して行ったのと同じように米国が穀物を統制するので、多くの国、特に穀物生産の少ない国では、農産物価格の急騰に対処する方法を考えているのだ。

2008年のような重大な穀物危機は回避しなければならないだろう。それ以降、世界中の至る所で穀物の莫大な蓄えが積み上げられてきたとはいえ、穀物危機になれば影響を被る。今年の米国の旱魃に端を発する食料問題は重大であるとはいえ世界中の食料問題に比べれば氷山の一角にすぎない。というのも米国は水をなんとかやりくりできる国であり、この30年間で国民総所得が倍増し人口は7,000万人増えたにもかかわらず水資源の消費は減っているからだ。それは水の使用を抑えることを学んだ農業と発電所の進歩、それに新しい浄化の技術のおかげである。

しかし、アフリカや中東、アジアの国々(インド、パキスタン、バングラディシュ、インドシナ半島)など世界中の多くの地域では、このような技術に追いついていない。人口爆発と気候変動が降水量の低下や氷河の後退を招き、重大な危機をもたらしているのだ。ナイル川、インダス川、ブラマプトラ川、ヨルダン川、メコン川、チグリス・ユーフラテス川など、大河の水源は多くの文明を育んできたのだが、今や流血の戦場へと変わりつつある。

国際社会は、最近の環境についての国際会議の相次ぐ失敗に辟易している。しかし水資源問題は対処しなければならない問題だ。形式的な会議ではなく、より効果的な議論の場を作らなければならない。2015年のミラノ万国博覧会(エキスポ)は、そのように水資源の問題に真剣に取り組む場になれるのではないか。そもそも水資源問題に関してはよく黙示録的な予測が提示されるが、実際には政治的または技術的に解決策を見つけられる場合がほとんどなのだ。

ペンタゴンは世界中の最も影響を受けやすい地域の状況を秘密情報機関に調べさせている。それによると、近い将来「水の覇権」を巡る真の戦争が起こるだろうという。国連の資料にも同様の警告が見られる。これは避けられないことのだろうか。オレゴン州立大学教授のアーロン・ウォルフの研究によると、何千年もの昔から水が主要な原因でなかった紛争はほとんどなかったという。

遅かれ早かれ枯渇する石油とは異なり、水は永久的に確保できる。『大いなる渇き』の著者チャールズ・フィッシュマンによると、現在私たちが飲んでいる水は100万年前にディノサウルスの腎臓を潤していたという。要するに地球は飲料水を生産する工場なのだ。それゆえ、数多くの対立が生じたものの結局は、人類は水資源の使用について合意できる方法を見つけてきたのだ。

しかし今日の世界においては、一般的な無関心や国家のエゴ、干ばつ、さらには人口増加の状況が各国でまったく違う中で効果的な条約議定書を締結できないでいることなどの理由により、至るところで強い緊張関係が生じている。

ナイル河畔では植民地時代に結ばれた条約によって90%の水がエジプトとスーダンに配分され、この2大国の上流の川沿いで生活する何億人ものアフリカ人が水の調達に苦労している。アジアではインダス川がインドとパキスタンの紛争の原因である。さらに中国は、チベットに端を発して南アジアの国々に流れ込む川の水をダムによって制限しようとしている。

このようなそれぞれ独立した問題に対して、大国による国際会議が機能しないのは明らかだろう。国家の利害がとても大きく、ひとつの合意に到達するのは不可能となる。むしろ、各国の政府や科学者、そして解決策を見つけられるかもしれない技術を持つ企業が議論に参加することで、より実践的かつ地域的な合意を達成して一つひとつのケースに対応する方がいいのかもしれない。

そこで先ほどの話しに戻るのだが、2015年の万博の機会を利用してはどうだろうか。水の供給問題は、持続的発展・「地球に食料を、生命にエネルギーを」というミラノ万博のテーマからそれほど外れていないのではないか。水資源の問題については、まだ誰もがすぐに思い出すようなイメージを持っていないので、そうしたイメージを作り出してはどうだろうか。

ミラノ万博開催(2015年5月1日)まであと1,000日ほどだ。万博は公私のプロジェクトが出会う場所なので、政府と企業の利害をまとめ上げる試みに相応しい場ともなるだろう。ここでは、世界の主要国が陥っている官僚的傾向や、一度問題として提示されると何が何でも結果を求めようとする世論の圧力を考えなくてもいいのだから。

マッシモ・ガッジ(Massimo Gaggi)
(原文)
UN'OCCASIONE PER L'AGENDA DELL'EXPO
La battaglia dell'acqua

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2012年8月10日 (金)

単に金銭の問題ではない ーモンティ首相とドイツにおける論争―

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年8月7日

すでにわかりきったことを敢えて繰り返そう。イタリアはここ何年もの間、借金まみれにもかかわらず気楽に生きてきた。しかるべく歳入がないのに歳出を膨らませるという民主主義の罪悪の見本を示してきたのだ。政治家たちには責任感などなく(6カ月もすれば、そのうちの多くが選挙で国民の判断を仰ぐことなるというのに)同意を得ることだけに専念し、国家の将来など気にも留めていない。そしてまた、そうせざるを得ないという側面もあるとはいえ、ともかく国庫をあてにして公的資金と特権を常に求める、民主主義における悪い市民の例を示してきたということも忘れてはならないだろう。

この当たり前すぎる事実について、8月6日付けのコッリエレ・デラ・セーラ紙でステファーノ・ミコッシが触れているし、彼以外にも同僚の何人かが日曜版で批評を述べている。「共通通貨ユーロが」国家主権を奪うだけで「イタリアを頼りにせず、逆にその保護下から閉め出そうとすることに、(筆者のように)驚いても」無駄であると。なぜなら「自らがまいた不幸」の結果なのだからというのだ。

実際、そうでなければ事態はむしろややこしいことになる。わかりやすく説明するために比較対象として国際通貨基金(IMF)を例にとりたい。周知のとおりIMFは、経済的困難を抱える国に資金を融資する代わりに、その時々に応じてIMFが指示する経済政策に被融資国に従わせる。その意味ではIMFの融資にも主権の譲渡が伴うのだが、それに疑問を持つ人はいないだろう。実際問題として昔からずっと、債務国は長期に亘って経済的に不利な状態にあったので、債権国の意向に沿わざるを得ない。つまり債務国にとっては、債権国の意のままに従うか、あるいはすべてを失うか、2つに1つだったのだ。

現在のイタリアの状況は、IMFの例と違うことは誰の目にも明らかだろう。理由は2つある。まず第1に当たり前すぎることだが、IMFは国家ではない。そして第2に、IMFの例のような資金の出資者と被出資者との関係は、好むと好まざるとにかかわらずドイツ(反ドイツ的な意味を含まず純粋にドイツについて言及したいのだが、議論をわかりやすくするためにユーロ圏における経済的な強国すべてもひとくくりにしてドイツと言っている)とイタリアの間には存在しないし、またそのような関係を持ちたくても不可能だということである。両者の関係は明晰な残酷さとでもいうようなとてもシンプルなものなのだ。

ドイツは、イタリアの公的債務の権利を握る債権者の代表でもなければ無関係な単なる署名者でもない。ましてや救済基金の一員でもない(そして何よりも、マイナス金利の国とは違い、ドイツは現在の南欧諸国の危機という状況に恩恵を受けている)。むしろイタリアとの間には(もちろんイタリアとだけではないが)様々な分野において、歴史的継続的な政治連合ともいうべき関係を保っている国である。たとえば欧州連合設に関する広範に亘る制度の共有などはそのよい例であろう。

しかしこの2つの理由のどちらともまったく無意味になり得る。議論の的となっている経済という覆いを引き裂き、唯一重要な政治的意味合いを付け加えればすむのだ。というのも、技術的なものも含めた種々の協定がどのようなものであれ、EUの究極の目的と存在意義はまさしく政治特有の目的と存在意義だからである(未だに政治がそれに相応しい制度の中で具体化しているわけではないが)。

このような視点で現在の状況を捉え、今述べてきたことがすべて事実だとしよう。そうするとEUの特徴と言われてきたこと、つまり複数の国家の統一とそれら国家間の平等を同時に実現する環境において、国家の主権の喪失となりかねない程大きな政治的影響を、考慮に入れないですますことはできるのだろうか?主権、つまりは国家の役割と政治的な重みを喪失すれば他の国家(ドイツ)の役割と政治的重みが必然的に増してくるという事実に、目を瞑ることができるのだろうか?さらには、そのような政治的な重みの変化が、建設中であるEUの政治的側面(何よりも歴史的なものだが)に与える避けられない影響を無視できるのだろうか?ドイツが支配する北欧的な欧州において、EU憲法を現在のものとはまったく違うもの、考えたことも無いような欧州統一主義的特徴をもつものに変えるというのだろうか。そしてハーグ(オランダ)やヘルシンキやベルリンは、本当にそのようなものを望んでいるのだろうか。(欧州そのものが危機にあり)債務国と債券国、「そちらの責任」と「我々のおかげ」というような言い合いをしている場合ではないというのに。

以上はすべて真実であるが、実は論点はずれているともいえる。なぜなら現在の財政上の力比べは、スプレッドや南欧諸国のための救済基金の利用に本当は影響しないのだから。これは本当は、EUの将来をどうするのか、またその一翼を担う政治体制はどのようなものなのかという、完全に政治的な議論なのだ。

エルネスト・ガッリ・デラ・ロッジャ(Ernesto Galli della Loggia)
(原文)
MONTI E LE POLEMICHE TEDESCHE
Non è solo una questione di soldi

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2012年8月 8日 (水)

中道のジレンマーイタリアの比例代表制と政党連合ー

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年8月6日

(*8月4日付『コッリエーレ・デッラ・セーラ』紙上のインタビューで、キリスト教中道民主連合(UDC)党首カジーニが「左右どちらの(政党)連合リストにも与さず単独で選挙を戦うが、選挙後の民主党(PD)との同盟は考えている」と答えたのを受けて)

以前の比例代表制が復活されれば、1994年以来不可能だったこと、つまりどこの(政党)連合リストにも属さずに単独で選挙に出馬し、開票後に議会において与党となるために同盟を組むことができるようになる。イタリアの第1共和制(1948-92年)ではこの選挙システムのおかげで44年間に45の内閣が誕生した。これは良い意味ではないが飛び抜けた記録だろう。イタリア人がそのようなシステムを許容してきたのは、当時はイタリアの民主主義がとても危ういところにいて、冷戦や、NATOや、共産党の脅威や、排除の同盟などがあったからである。

かくも機能不全に陥っている民主主義が、現代のような荒れ狂う世界で長期間存続できるのだろうかという疑問は残る。だが選挙や政治にとって重要なのは短い期間なのだ。短期間であれば比例代表制は多方面に好都合なシステムとなる。まずは、おそらく野党になる中道右派連合にとっては、選挙区制とは違い敗北するとしても限定的で議席を保てるので好都合である。そしてピエル・フェルディナンド・カジーニ率いるキリスト教中道民主連合(UDC)党など「中道」に位置付けられる勢力にも好都合である。議席を保てるだけでなく、選挙後の同盟となればキャスティングボートを握ることになるからだ。中道勢力は左右どちらと組むにしても、選挙後に組閣のための協定を結ぶことでキングメーカーとなれるのである。

それではここで例を挙げて考えるため、選挙後のシナリオを想像してみたい(もちろん選挙後の動向は歴史が語るもので実際に起きてみないとわからないが、手作りのコンパスで行方を探るようにシナリオを構想してみようと思う)。

次期選挙では、ベルサーニ(PD書記長)とヴェンドラ(左翼エロロジー自由党首)の中道左派連合が中道右派連合を上回ると予測できる。とはいえ政権を運営できる人数には達しそうにもないので、中道左派連合はカジーニを当てにせざるを得なくなる。それでは中道左派連合がカジーニとともに組閣するとなると政権はどれくらいの期間保てるのだろうか?

ベルサーニの「政権構想」では、カジーニはモンティ政権との継続性を守り、ヴェンドラ(そして民主党の一部の)はモンティ政権との断絶を強く望んでいる。そしてその中間にいるベルサーニが両者を取り持つことになる。このような政権が果たして長続きするのだろうか?イタリアがスプレッドを抑えるために(ECBに)援助を要請し、それと引き換えに厳しい条件を受け入れざるを得なくなれば長続きはしないだろう。自分たちとは関係のない歳出のカットと緊縮財政に基づく政策を行えば、政権内の左派(ヴェンドラ)はそのうち離脱してしまうと予測できるからだ。しかし援助を要請せずECBによる監視を受け入れない場合でも、ベルサーニの政権構想では重大な問題に直面してしまう。政権のメンバーを見れば、簡単に市場の信頼を獲得できるとは思えないからだ。事によると1年程で政権が崩壊するという可能性も大いにありえる。さらに(イスラエルとイランの対立による)中東の軍事危機が悪化して政治外交的圧力が高まり、市場が閉鎖されるというような事態が起ころうものなら、政権の寿命はさらに短くなるだろう。

そして中道左派連合による実験的な政権運営が終われば、カジーニはマークを外し馬を代えて(選挙の敗北によって中道右派のリーダーとして再登場するであろうベルルスコーニの仲立ちによって)中道右派連合との交渉を始めるかもしれない。だが一方では、議会内に中道左派連合を倒すのに十分な人数がいなければ鞍替えは不可能だ。それでは人数が足りない場合はどうなるのかというと、中道に位置するという幸運が、一気に不運へと変わってしまうと思われる。人数を集めらなければ中道勢力は失敗に終わる中道左派政権と一蓮托生となり、そこから抜け出せなくなるからだ。

実はカジーニにとって最も都合がいいのは大連立である。議会における力の配分は、投票が終わり開票結果が知らされる時に初めてわかる。結果次第で中道勢力が祝杯を上げるか、あるいは恐れおののくかは、選挙の結果次第なのである。

アンジェロ・パーネビアンコ(Angelo Panebianco)

(原文)
PROPORZIONALE E ALLEANZE DI GOVERNO
Il dilemma dei centristi

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2012年8月 6日 (月)

-ユーロと主権 と憲法- 強い国の通貨

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年8月5日

イタリアは大きな岐路に立たされている。さらに広がることが明らかなスプレッド(国債のドイツ10年国債の利回りとの差)に耐え続けるか、あるいは金融安定化基金の援助を要請するか。スプレッドに耐え続ければ、当然のことながら経済は停滞する。しかし援助を請うのはなお悪いだろう。ドイツなどユーロ圏内の強国が欧州中央銀行(ECB)による援助の条件として望む、現政権及び次期政権への指導監督を、イタリアは受け入れなければならないからだ。これはこの先何年も、外国からの指令へ服従しなければなならないことを意味する。つまり、イタリア共和国の主権の根本的な喪失を意味するのだ。

ある悲劇的な事実が、ユーロ危機がよりいっそう明白になっていることを裏付けている。それは、誕生から60年余りが経ったEUには、見かけだけの形式的なものを除けば、本当の意味で国家を超えた機構は存在しないということだ。もちろんECBもそうである。つまり、加盟国共通の関心、又は関心を持っていると明らかに考えられることに従って、各国政府の意向から独立して重要な問題に決断を下せる、いかなる機構も存在しないということだ。例えば、すべての加盟国の間で一定の公平さでもって、決断することの負担と恩恵を配分するよう定めるのは難しい。

このような制度においては、ユーロはその生みの親たちが思い込んでいたように、平等と合意に基づいた単なる形式的な「欧州」通貨であるにすぎない。実際ユーロは、背後に統一機構を持たない(政治国家的な意味での統一はないということだ。それは政治家たちが自国の有権者たちに、例えば欧州議会の決定事項を説明する際に、拠り所にできる唯一の要素であるというのに)「統一」通貨であり、何か重大な問題に直面すると、必然的に、統一通貨の特徴を失ってしまいがちだ。単なる名目上のつい立てのようなものとなり、その背後では伝統的な国家間の対立やライバル関係が抑えようもなく顕わになっているのだ。

さらに悪いことに、経済的に強い国の手に握られたユーロは、弱小国にとっておは油断のならない武器にもなる。国家の自立と通貨統合 の共存が、経済危機の際にはバランスが崩れユーロがもたらす「統一」の効果に束縛されてしまう。その結果、経済的に2流の国(南欧諸国)では、ユーロが国家の活力を粉々にする潜在的な力を持つようになり、それらの国々は本当の意味で従属国家になりかえねないのだ。そうした意味では、「政治」の自立は、欧州のすべての国家の憲法の基礎となった経済至上主義という幻想に対する、最も嘲笑的な懲罰であるかもしれない。

さらに、イタリアで今起こっていることは、合憲性についてのデリケートな問題でもあると言えよう(イタリアがこうした問題に初めて立ち向かうわけではなくてよかったと思う。さもなければイタリアの憲法裁判所は、EUに国家主権の救済を求めるという過酷な道に進まなければならないなどと考えてみたこともない、ということになる。ドイツの憲法裁判所はすでにそうした道を進んでいるのだが、奇妙なことに、その決断に今日の我々までが従属しているのだ)。

実際、イタリアには憲法第11条がある。そこでは「イタリアは主権の制限に同意できる」と規定されているが、それは「他国と同等の条件において」である(もちろん、そうした条件においてのみという意味である)。そうなると当然、次のような疑問が浮かんでくる。ECBへ援助を要請することで主権の譲渡を余儀なくされる状態に陥りかねないが、そのときにどのような「同等の条件」が保証されているのだろうか?ここでの条件とは明らかに、次々と内容が変わる政府の直接の圧力のために、その時に応じて決定されるような条件になるだろう。ではこう考えよう。今日のイタリアに留保された待遇を、明日にはドイツにも適用することを保証できる何かがあるのだろうか?そして憲法が望む「同等の条件」が、実質的に遵守されるのだろうか?さらにイタリア憲法は第11条で「国家間の平和と正義を保証する制度に必要な」場合、主権の制限に同意できるとも規定しているが、これはどうなのだろうか?スプレッドから逃れるための代償として主権の制限を受け入れざるを得ない場合、どのような「正義」が問題になるというのか。それは「敗者を踏みつける」正義なのか、それともまた違った正義なのか。


エルネスト・ガッリ・デッラ・ロッジャ(ERNESTO GALLI DELLA LOGGIA)

(原文)
Una svolta incompresa però servirà

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2012年8月 5日 (日)

イタリアのリソルジメント(復興統一運動) 1820-47年

コムーネの時代から知識人の思想の中には、イタリア国家というものが存在していたわけではないが、イタリア国民という概念はあった。この概念が再び浮かび上がってくるのは、ナポレオンによる占領時代である。イタリアのジャコバン主義者(過激政治家)の間に、統一と独立を目指す政治的傾向が広まったのだ。この傾向は反動の時代(1815年ウィーン会議から1830年フランス7月革命の頃まで)には影を潜め、1820-21年のカルボナリ反乱の際にはほとんど見られなかったが、1831年の騒乱の時に再び姿を現すようになった。

1831年に、モデナ公国、パルマ公国、及び教皇国家レガツィオーネで相次いで起こった騒乱は、フランスの7月革命の影響を受けたものであったが、それだけではなく、モデナ公フランチェスコIV世を巻き込もうとした陰謀に端を発したものでもあった。モデナ公自身も、始めは陰謀に肩入れしていたのだが、結局は反動的な性向を明らかにして、陰謀のリーダーたちを捕えてしまう。それでも教皇国家レガツィオーネで騒乱が起こり、それが両公国へと広まった。1831年の騒乱の特徴は、自由主義派貴族や動員された大衆(少数ではあったが)の支持を得た、中産階級(ブルジョワ)が主役になったことであろう。しかし、この騒乱は一つにまとまらずに都市毎に分断していたうえ、穏健派と民主派が対立していたため、オーストリアの介入を招いて簡単に鎮圧された。

1831年の騒乱を鎮圧されて壊滅的な打撃を受けたカルボナリ党は、ジュゼッペ・マッツィーニが主張する方向へと転換を図る。マッツィーニの思想では、民主主義への渇望は半ば神秘的宗教的な様相を帯び、イタリアへの帰属という使命感を持つひとつの概念となっていた。社会的問題を無視したわけではないが、マッツィーニの思想の中心には、独立、統一、共和制という国民的目標と、それを達成する唯一の方法は民衆蜂起であるという信念があった。1831年にイタリア青年党を創立したマッツィーニは、民衆蜂起の計画に邁進し、1834年にはサヴォイア侵攻を企てることになる。しかしこの侵攻は失敗、さらに同様な計画の相次ぐ失敗もあって、マッツィーニの国民問題についての考えに批判が高まる。それとともに、新しい政治的傾向も広まることになる。

1830-40年代のイタリアは、ヨーロッパの他の国とは異なり、実質的に王政復古がそのまま続いた10年間であった。教皇国家や両シチリア王国は改革への反動で特徴付けられる一方、トスカーナ公国は改革に対していくらか寛大であり、ピエモンテ王国では、カルロ・アルベルト国王が教権的・正統王制的な傾向を持っていたにもかかわらず、いくつかの重要な改革が実現した。また、この時期のイタリアの経済的発展はとても緩やかで、いくらかの進歩が見られたとはいえ、ヨーロッパの先進国との間に積み重ねられてきた格差は縮まらなかった。

1840年代には、国民(民族)問題を穏健的に解決しようという政治的傾向(穏健派)が出現した。ジョベルティに代表される穏健派は、カトリック教会の国家的役割の再発見(ネオグエルフィズモ)に立脚していた。穏健派は、マッツィーニ派とは異なり、蜂起に訴えずに段階的な問題解決を目指していたために支持を広げるのに成功した。穏健派に見られる斬新主義と連邦主義は、カッターネオに代表される、ロンバルディアの民主・共和派にも見られる考えであった。

1846年の教皇選出選挙でピウス9世が選出されたことで、イタリア中が狂喜の波につつまれた。その熱狂は、ピウス9世が教皇就任直後に、限定的とはいえいくつかの改革(政治犯の釈放など)を行ったことで高まることになる。新教皇ピウス9世によって、穏健派ネオグエルフィズモが描く政治(オーストリア帝国がフェッラーラを占領したことで、世論の間でもネオグエルフォズモへの期待が高まっていた)が実現されると期待されていた。そして1847年には、両シチリア王国は別として、世論と民衆のデモに突き上げられた教皇国家以外の国家も、限定的とはいえいくらかの改革を行わざるを得なくなる。

サッバトゥッチ(G. Sabbatucci)、ヴィドット(V. Vidotto)共著『イタリア現代史 19世紀』、ラテルツァ社、2010年

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評価は低いが役に立つ ーECB理事会後の総裁ドラギの会見ー

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年8月3日

欧州株の大幅値下がりは、欧州中央銀行(ECB)総裁が(南欧諸国の国債購入再開について)言葉だけで実行に移さなかったことを非難しているかのようだ。しかし今回は市場の方が間違っている。ドラギ総裁はできることはすべて実行した上、現在のEUが持つ政治的制度的しがらみからECBの自立を救ったのだ。

ECB理事会では、金融市場の指標となる政策金利の引き下げを望む楽天的な意見もあった。しかしすでにリファイナンス金利を0.75%まで下げており、中銀預金金利に至ってはゼロである。そもそも、スペインやイタリアが直面しているデフォルトの危機は、ECBの金利が原因ではなく、スプレッド、つまり金融不安を抱える国の10年国債利回りとドイツ10年国債の利回りの差から生じたものだ。金利をさらに引き下げても、スプレッドには何ら影響しないだろう。

また会見では、2011年夏にECB前総裁トリシェが債券の流通市場を通して南欧諸国の国債を間接的に引き受けたときのように、債券購入計画(SMP:Security Market Program)をドラギが発表するのではないかと期待されてもいた。

実際には、そのような一時的な債券購入計画は、財政難を抱える国に対して限定的にしか役に立たない。債券購入プログラムが終われば、元の状況に戻ってしまうからだ。そうかといって、ノーベル経済学賞受賞者ポール・クルーグマンら高名な経済学者たちの一部が主張する、ECBによる無制限の救済策は、国債の直接引受けを通じての加盟国への債務援助を認めていない欧州条約に違反する。それに何よりも、ECBが無条件に資金を供給することを選べば、この真夏の休暇中に、スプレッドの拡大に悩む南欧諸国がなんとか回避してきた積極財政政策に逆戻りすることになるだろう。ユーロ圏救済措置を拡大し金融安定化基金に銀行の資金が流入することに反対するドイツ中央銀行やドイツの世論が恐れているのは、現在経済危機に直面している国々の政府が責任を取らないですむということなのだ。

7月26日の講演(ドラギは「ユーロを守るためにあらゆる措置をとる用意がある」と表明)後に市場に期待を与えたドラギに対する信頼感は、昨日と今日のドラギ総裁の発言内容を受けて、まだ残っているのだろうか。国家の命令には従わずに自立を保つECBはあらゆる措置を行うことができるが、今日のドラギの発言は市場にはまったくものたりなかった。

とはいえ、破滅の危機に際してさえ統合の理由を見つけられないでいる欧州政府への忍耐強い道程においてなされたドラギの提案には、裁量の余地のある柔軟性が見られ、落ちついて見れば市場に評価され得る2つの長所がある。まず何よりも、具体的な介入プログラムに縛られていないため、ドラギは将来介入する道を閉ざしたわけではないということ。そして、各国政府に基本的な真実を思い出させたことである。結果がどうであれ救助の可能性や要請は、ECBではなく、それぞれの政府と有権者にあるということだ。

フランテェスコ・ダヴェーリ(Francesco Daveri)

(原文)
Una svolta incompresa però servirà

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2012年8月 4日 (土)

—左派の戦術と戸惑い—小声の同盟

ニキ・ヴェンドラ(左翼エロロジー自由党首)が語る「物語」は常に難解だが、昨日はとりわけ複雑だった。ディ・ピエトロ(価値あるイタリアIdV党首)への扉を閉ざし中道連合(UDC)への扉を開くことになる、民主党(PD)との同盟について、PD書記長ベルサーニと会談したヴェンドラは、記者会見でUdcを受け入れ、ディ・ピエトロを閉め出すことを否定した。一方でヴェンドラは、カジーニ(UDC党首)の名前が出ることさえ望まない党員たちの突き上げ対応しなければならない。とはいえ、彼ら左派には左派なりの儀式があり、我々が今目にしているのは、ご機嫌取りのために念入りに作られたダンスにすぎない。ヴェンドラにとっては、ベルサーニが欠くことはできないのと同様、グリッロ(お笑い芸人。五つ星の市民運動代表)やディ・ピエトロに流れる恐れのある有権者たちも欠かせない。彼ら左派は、ほのめかしと撤回によって一進一退しながら、斬新的かつ進歩的に歩みを進めていくのだ。

物語はともかく、今や誰にも知られている上1994年の不吉な前例(汚職事件で既成政党が軒並み解散した後の選挙で、中道左派連合がベルルスコーニ率いる中道右派連合に破れた)など気にも留めずに、自分たちを「革新派」と規定する左派勢力のマニフェストが何なのかは今や明らかに思われる。彼らは議会で多数派を形成するために、力を持つ野党勢力を結集し、右派にできた空白を利用し、選挙後にはUDCとの穏健派と協定を結ぶのだ。「革新派」に2人のリーダー(ヴェンドラとベルサーニ)がいるということは、とても明確なメッセージを伝えている。ヴァストの写真(2011年9月、アブルッツォ州ヴァストで結ばれた、ヴェンドラ、ベルサーニ、ディ・ピエトロ3者による協定)にいる3人目のリーダー、ディ・ピエトロはに映っている3人目のリーダー、ディ・ピエトロは取り除かれた。ディ・ピエトロは「革新派」に参加せず、政権を批判する反対派をすでに選んでいるのだ。実際彼にとっては、政策よりもグリッロの声明の方が興味を惹かれるのだろう。ナポリターノ大統領やモンティ首相までベルルスコーニと比較して批判することで、PDとの関係を完全に断ち切ってしまった。もしヴェンドラがPDを選ぶのなら、ディ・ピエトロと共に進むことはできない。ヴェンドラとベルサーニの希望は、検察出身のナポリ市長マジストリスとやエミリアーノの「オレンジのリスト」をディ・ピエトロの代わりに引き込み、いわゆる市民運動の「清教徒」の票取り込むことで、ディ・ピエトロとの断絶を「道徳的に」覆い隠すことだろう。

とはいえ、昨日の左派による政局には欠点もある。彼らの拠り所が、とても、そしてことによるとかなりの程度、曖昧なのだ。まずヴェンドラは、PDに併合されたのではなく正式な同盟者として行うことを示すために、中道左派代表戦出馬を正式表明することで中道へと方向転換せざるを得なかった。しかしそうすることで、ベルサーニとの間にちょっとした問題が生じていた。ベルサーニは対抗馬として右側にレンツィ、左側にニキ・ヴェンドラを抱えながらも、ともかく代表戦を勝利者として抜け出せると思っていたのだ。もっともキージ宮(首相官邸)への候補者となるには難しかっただろうが。

次に、PDが示した「目的」とヴェンドラの発表内容は、穏健派(UDC)との行動協定への叩き台と見なせるものではなかった。それゆえ代表戦後に、再び話し合いが必要となるだろう。ベルサーニが示した膨大な書類の中で、提案として明確にされているのは資産税と同性愛結婚くらいである。一方、UDCの基盤であるカトリック教徒の有権者の関心は、財産と結婚だろう。前回の中道左派連合プロ―ディ政権内における対立が再現するという悪夢が、消え去ったわけではないのだ。

また、ヴェンドラが主張する労使間の対立という見解は、欧州委員会ではなくむしろFiom(金属労働者連合)と共通するものとなっている。社会民主党(SPD)が政権を取る可能性があるドイツでさえ、イタリア一国だけが緊縮財政政策を捨て他国の資金でケインズ派の実験を行うことなど、許さないと思われる。

結局、昨日の左派の動きは、長い試合(来春にようやく決着がつくと思われる)の幕開けに過ぎず、モンティ政権解散後のイタリアがどうなるのかを理解するために待機している市場を、不安に陥れるに過ぎない。ヴェンドラはこの新しい同盟を「希望の極」と呼ぶよう提案した。最後に残っているのが希望だが、その運命を予測するには中道右派がどう動くのか見守る必要があるだろう。中道右派は、現時点ではまったくゲームの構想を描けていないように見えるが、きっかけがあればすぐにでもゲームに復帰するはずだ。そして何よりも、中道左派の代表戦の結果がどうなるのか、ベルサーニとヴェンドラの政治同盟よりもグリッロとディ・ピエトロの反政治同盟を選ぶ有権者がどれくらいいるのかを、見極める必要があるだろう。

アントーニオ・ポリート(ANTONIO POLITO)

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年8月2日
(原文)
TATTICHE E INCERTEZZE A SINISTRA
UN'ALLEANZA SOTTOVOCE

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2012年8月 3日 (金)

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera) 2012年8月1日

自分たちでなんとかする
フランクフルトのパラシュート

ほぼ世界中で、成長が鈍ってきている。2010年に成長率が3.8%だったアメリカは、2011年には2.3%、今年の第2四半期には1.5%まで落ちこんだ。高成長を続ける中国やブラジルでさえ、陰りが見え始めている。欧州の成長率は来週公表される予定だが、南北での差が大きいとはいえ、落胆する結果に終わるのではないかと欧州全体が恐れている。イタリアに関する最近の予想は、今年の国民所得がさらに2ポイント下がる見込みであるという。この停滞を抑えるのは、各国の中央銀行の任務であろう。取り得べき解決策として、まずは市中銀行に貸し出す制作金利の引き下げが考えられるが、現在のように金利がゼロに近いときには、企業に融資する他の方法を探さなければならないだろう。例えば、銀行システムを通さずに直接金融を行ったり、市中銀行が個人や企業に融資せずに中央銀行へ資金を預ける場合にはなんらかの費用を払うようにさせたりすることが考えられる。

米連邦準備制度理事会(FRB)は、そのような処置を今日発表する予定である。フランクフルトの欧州中央銀行(ECB)も後を追うことになるだろう。とはいえ、中央銀行の任務はここまでである。財政収支のために政府に代わって国債を購入するのは、間違っている。財政政策と金融政策を一元化すべきではないのだ。イタリアのスプレッド(ドイツ国債との利回りの差)は、イタリア国債購入を考えている外国の投資家が不安を抱くくらい高くなっている。彼ら投資家は、イタリアの社会モデルは成長とは相容れない程の税負担を求めているため、もはや長くは耐えられないと考えているのだ。こうした疑念があれば、ECBによる国債買い入れも、問題の解決には十分ではなくなってしまう。

負債のすべてを自ら買い戻すという道はある。スペインでは無理だが、イタリアは民間セクターがとても豊かなため、理論的には可能である。実際、部分的にはすでにそうした動きが起こっている。ここ数ヶ月で、外国資本が所有するイタリアの負債は60%から37%に落ちた。加えて、70年代に行われたように、個人や銀行に外国の国債を売却し、イタリアの固定利付き国債(BTP)を額面通りの利率で購入するよう、義務付けることもできる。しかしそれでは、日本のようになるだろう。日本はイタリアのおよそ2倍の負債を抱えてはいるが、そのほぼすべてはとても低い利率で国内資本に所有されている。しかし20年間も成長が止まったままであり、とうていモデルにできない。

ECBのドラギ総裁は、ECBがイタリア国債BTPの購入に踏み切った昨年8月の教訓を忘れてはいない。買い支えを始めたにもかかわらずスプレッドは広がり、ドラギと前総裁トルシェの要請を受けて8月8日にベルルスコーニが示した善意は雲散霧消した。残念ながら、この春にも似たようなことが起こった。ECBが市中銀行に資金を供給すると、市中銀行は国債購入に走ったのだ。この日曜日にセルジョ・リッツォが当コラムで端的に述べたように、スプレッドと改革は「シシュポスの石」のようなものである。スプレッドがつまずけば改革も頓挫する。

おそらく、現在、共通通貨ユーロを救う唯一の方法は、ECBによる国債の買い入れであろう。しかし昨年8月の教訓によると、無条件又は単純ながらそうした意図を表明することなしには、不可能である。ECBの力を借りるとなると、財政収支に関する権限の制限を受け入れざるを得なくなるという恐れもある。それは敗北ともいえるだろう。さもなければ、自分たちで何とかするしかない。それは不可能ではなく、まだ何とかできるだろう。しかしそれには、残り期間がわずかとはいえ議会と政治が決断力をもっていると自ら示す必要があるのだ。

アルベルト・アレジーナ(ALBERTO ALESINA)、フランテェスコ・ジャヴァッツィ(Francesco Giavazzi)

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2012年8月 1日 (水)

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera) 2012年7月31日

ドイツと他国
債務国の主権

欧州統合のプロセスはその歴史上、いつになるかは分らないが大陸を統合するという高尚な計画を、問題が出てくる度に解決に向かうような、実践的且つとても具体的な基準とうまく調和させてきた。ユーロ危機まで、それは成功の歴史であった。様々な問題を(対立を生みかねない程)過剰に政治化せず、「試して失敗する(いつもそうなるのだが)ために」行動を起こすことで、常に統合への道を歩んで来た。少なくとも今日までは。統一通貨ユーロでさえ、「まずは船に乗ってから経過を見よう」というようなやり方で誕生した。政治統合という計画に向かって進む確実な歩みの後から、通貨統合はついて行けばいいと考えられていたのだ。もっとも、この計画がいつ実現するかは、誰にも分っていなかったのだが。そして、ユーロ危機がすべてを変えた。欧州の伝統的な実践主義では出口は見つからず、政治的に重要な決断抜きでは、危機を克服することができなかった。そこでプレーヤーとして浮かび上がってきたのは、他ならぬ国家主権と民主主義代議制の原則(とその手続き)である。

『ファイナンシャルタイムズ』紙は昨日(2012年7月30日)、欧州中央銀行役員も務めたオトマール・イッシングの権威ある意見を掲載した。イッシングの見解は、母国ドイツの世論と一致している。ドイツの納税者に、自分たちの資金がどのように使われるか厳しくチェックする権利なしに、ユーロ債などを通じて地中海ヨーロッパの国々の負債を立て替えるよう要求するのは、民主主義の「代表なくして課税なし」の原理に反するだろうと言うのだ。一体なぜドイツの納税者が、金を払わなければならないのか?それがどのように使われるか確実にチェックするメカニズムがないというのに。イッシングによれば、そうしたことは統一への支援にはまったくならず、むしろEUの解体をもたらしかねない強い恨みをドイツ国内に根付かせかねないという。これは、好むと好まざるとにかかわらず無視することのできない「重い」意見であろう。

一方で、イタリアの納税者が、現在マイナス金利で財政政策を行っているドイツの状況に対して、方向は逆とはいえ同様な疑問を抱いているかもしれないと、イッシングに思い起こさせることも出来るだろう。ドイツの人たちの状況を理解するには、数週間まえにイタリアで起こったことを思い出せばよいのだから。シチリア州の財政危機が懸念されたことに対して(7月17日にモンティ首相は、シチリア州の財政がデフォルトの危機にあるとの認識を示した)、政府がシチリア州政府を監督するよう要請する声がすぐに持ち上がらなかっただろうか?そして、納税者の多数が、いかなるチェックも行わずシチリアの出費のために支払い続けることを避けられると見ていたとしたら、それはどういう意味を持つのだろうか?

もちろんシチリアの例は、一つの国家内における、金を出す人たちと使う人たちの関係である。一方、欧州のケースでは、統一国家が存在しないことで問題はさらに複雑ではあるが、本質的には同じ問題である。金を出す人たちは、その用途をチェックする権利を持つべきなのだ。経済危機から抜け出すには、2つの要求をうまく調停する方法を見つけなければならない。つまり、ドイツの人たちには差し出す金の用途を保証し、ある程度の主権の喪失は避けられないその他の国々の人たちには、そうした主権の喪失が弱者をさらに弱めるために強者によって利用される(負債に基づく財政のように)ことがないよう保証する。そのような二重で交錯する保証システムが必要であり、そうしたシステムが作られなければならない。革命はもちろん流血のない統一もまた、大饗宴などではないのだ。

アンジェラ・パーネビアンコ(ANGELO PANEBIANCO)

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