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2012年7月

2012年7月29日 (日)

二面的システムの危機 ー専門家と奇妙な多数派ー

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年7月26日

ナポリターノ大統領が専門家(たち)に組閣を命じたとき、この政権で何をするべきで何ができるのか曖昧なままであった。イタリアでは、唯一の前例としてディーニ内閣があるが、これはかなり特殊なケースだった。ディーニの組閣をスカルファロ大統領に推薦したのはベルルスコーニであり(1995年にボッシが突然政権を離脱したときのことだ)、それゆえ中道右派政権の誕生だと理解されていた。しかしベルルスコーニはすぐに内閣への反対票を投じることになり(野党として存在感を示すための何よりの武器だったのだ)、左派がその機に応じて、まるで左派政権であるかのようにディーニ内閣を支持した。専門家による内閣として、こうした奇妙な成り立ちが政権の運営を妨げないようにするにはどうしたらいいのか、ディーニは正確に理解していた。左派が許容する柔軟性の範囲内でうまく立ち回ったのだ。だが以上にかかわらず、ディーニ内閣自体が前例を持たない偶然の産物だったという事実は変わらない。

現在の話しに戻ると、モンティはベルルスコーニの「嬉しそうな」合意(おそらくベルルスコーニは喜んでいたと思われるのだ)も得てキージ宮(首相官邸)に定住した。ベルルスコーニは、国際的危機に対処する方法を自分では持たないと理解し、そうした危機に立ち向かわないですむように身を引いたのだ。

理論的には、モンティは緊急事態を訴え、政治の仕組みを利用して信任を問うた上で、勅令による政治を選ぶことができたし、議会と連れ立って政治を進めることもできた。実際には、モンティは議会と連れたって徐々に後者を選ぶようになり、そうした選択が、犬と魚の両立、いわば水陸両棲ともいうべき(専門家と議員による)二面的システムを作りだししてしまった。そして(留まりたいと望む)議員たちは結局、際立って特殊だと思われる次回の選挙に向けて繰り広げられている、議会のゲームに引き込まれてしまったのだ。モンティは不信任投票の危険を冒すことが出来ないと言われている。それが二面的システムの特徴だと言うのだ。筆者にはこのような説明は納得できない。

モンティ内閣の閣僚の一人、エルザ・フォルネーロ(労働・社会政策担当大臣)は、不信任投票が行われれば閣僚全員が辞任することになるだろう、と繰り返し主張している。しかしそれは正しくないだろう。モンティ首相に不信任決議が出されると、大統領はまず第一に、現在の議会の中で代わりに政権を担当する可能性がある政治家がいるかどうかを見定めなければならなくなる。しかしそのような人物がいるようには思えない。そうなると、現在の問題(今や「大問題」となっている)の迅速な処理と選挙管理のために、ナポリターノ大統領はモンティ首相の続投を選ばざるを得なくなるだろう。そしてまた、そうなる場合はイタリアに対する国際的な信頼が失われるという議論は、必ずしも正しくはない。選挙を管理するモンティ政権が選挙で勝利する可能性もあるので、尚更そう言えるだろう。モンティは当然、ベルルスコーニがかつてそうであったように、新しく信頼できる自身の人物像による政党を作り、有権者(投票しないであろう多くの有権者も含む)の票を集めることもできるだろう。

以上述べたことは、筆者の憶測に過ぎない。ただ、モンティ首相が次回の選挙には出馬しない(首相としてという意味である。モンティは終身上院議員なのだから)と宣言するたびに、力は失っていくのは事実である。政治の世界では、何をしたいのか早々と宣言することは、しばしば過ちとなる。ベルルスコーニの教えに従えば、自分のカードを決してめくってはならないのだ。

ジョヴァン二・サルトーリ(GIOVANNI SARTORI)
(原文)
I TECNICI E LA STRANA MAGGIORANZA
Un traballante sistema anfibio

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2012年7月27日 (金)

歴史的な相違ードイツのヨーロッパと地中海のヨーロッパー

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年7月25日

今日、EU全体を揺るがしている経済危機にも、少なくとも一つは利点を認めるべきであろう。経済危機によって、EUがどのように誕生し、またどのように成長してきたかを、根本から考え直す必要がでてきたのだから。おそらくそうすることによってのみ、現在の危機からの出口を見つけることができるのだ。

しかしこれは、世論や個々の研究者、観察者たちの役割となってしまった。なぜならヨーロッパの政治家たちのリーダーシップは、そうした考えを注意深く遠ざけているからである。政治家たちは、なんらかの解決策として明示されることもあれば、結局は何も解決しないまま無駄に時間が過ぎていくような、どこかの頂上(サミット)から他の頂上(サミット)へと飛び移ることだけに時間を費やしているかのようである。

ともかく、ヨーロッパの成り立ちについて考え直してみよう。例えば、ヨーロッパはその始まりから軽率にも地政学には目を瞑ってきたことは、今や明白である。第二次世界大戦が終了し、大陸の東側全体がソ連に接収されたことは、イタリア、フランス、ドイツ、及びベネルクス三国に、単一の「ヨーロッパ」の現状がどのようなものか考えさせるには十分であった。もっとも実際には、それは単なる動機の一つにすぎなかった。というのも、当時これらの国々は、他でもなく米国の影響下にあったのだ。つまり、当時のヨーロッパの支配層が米国の覇権を認めることによってのみ、この集合体に「ヨーロッパ」という言葉を付すことができたのである。

そしてローマ条約に基づくヨーロッパの概念は、少なくとも2つの決定的な要素を実質的に消し去ってしまった。「地中海のヨーロッパ」(当時はイタリアだけであったが、後にはスペイン、ギリシア、ポルトガル、マルタ、キプロスにもあてはまる重い現実となった)と、ドイツに代表され、実際はスカンジナビアからオランダ、オーストリア、スロベニアにまで広がる「ドイツのヨーロッパ」。ヨーロッパという概念は、まったく異なる歴史、社会、伝統を持つ2つのヨーロッパを消しさったのだ。

何世紀にも亘って、2つのヨーロッパは共通の価値によって結合してきたが、同様に争いによって分裂してもきた。相違が著しかったので、共通の価値というものは、ほぼ狭いエリート層の中だけに通用する財産にすぎず、争いは深く広がる根を張っていた。ヨーロッパ共同体(EEC)と欧州連合(EU)は、2つのヨーロッパが存在するということを、首尾よく隠し通して来た。そして年を重ねるうちに、「西洋」という名のもろいイデオロギーのマントと、外見的にはより堅固に見える「経済」という概念を利用するようになった。共産圏のすべての国々は、実際には資本主義と一体化し、経済の発展のみに関心があり、ともかく経済の秩序の中に囚われている、ということに気づいたのだ。

しかし今日においては、イデオロギーのマントも、見晴らしがよく普遍的となった経済という外面も、粉々に砕け散ったように見える。米ソの対立が終わり、「西洋」というカテゴリーは、ますます現実性のないものとなった。そして「経済」は、グローバリズムにさらされて、統合を促すよりもむしろ分裂させるものであるということがわかってきた。

今や、地理や政治、それらに付随する歴史などが、再び優位に立っている。虚構の首都ブリュッセルより、ヨーロッパ大陸の真の首都であるベルリンやパリ、マドリッド、ローマの方が上にきているのだ。昔ながらの多様性が再び重要となってきたのである。現在では、驚く程の説得力を持って、「ドイツのヨーロッパ」と「地中海のヨーロッパ」との違いが、実際に浮かび上がってきた(もっとも、フランスはその中間に位置している)。さらに複雑なことには、ヨーロッパが無分別にも東側を組み込むことによって、「バルカンのヨーロッパ」というさらに根本的に違う要素も加わることになった。

「地中海のヨーロッパ」にいる私たちは、ギリシア、スペイン、イタリアに存在したかつてのファシズム的独裁を考慮に入れざるをえない。それゆえ、私たちにとって近代民主主義は、ごく最近誕生したものであるとも言える。そこでは、いくつもの点で正反対の、又は無関係な、性質や価値とともに、昔から蔓延している貧困、弱い市民文化、過剰な人間関係、御し難い個人主義、頑固な排他主義、法治国家からはほど遠い政府の伝統、などの要素が支配的である。

これらすべての要素によって民主主義的合意のメカニズムが機能しているという一面はあるのだが、そのおかげで政治的仲介の役割が成長し浸透することができなくなっている。アルプスとピレネーの南側では、その始まりから民主主義が成功するには、利益供与や寄付、助成金、賃金などに代表される民主主義にならざるを得なかったのだであり、今でもますますその傾向が強まっている。

浪費による(そして長期的には負債による)民主主主義は、一貫した大衆精神を育んできた。そして政治家たちは、そのようにして利用できる資源を強めることによって、徐々にあらゆる種類の共有空間を占める(そしてしばしば作りだしさえする)ようになった。ギリシアの破産や他の多くの国で同様に起こり得る悲劇的な財政危機、重要なことであるイタリアとスペインの自立、莫大な公私の負債。こうした要素は当然のことながら、政府の腐敗と軽率さによって作られた事実である。とはいえ、それだけではない。そうした要素は、歴史的現実を表してもいる。大陸の南側ではそのような歴史的状況において、民主主義が実現したのである。

もちろん「市場」は、そのようなことはほとんど気にもかけない。我々イタリア人を始めとする地中海のヨーロッパ市民たちが、そのようなことをヨーロッパの友人、つまりドイツの友人に押し付けている、と考えるのも間違いである。そういう意味では、例えば、適切な文化的な行動によって我々がそうした如才なさに専心しているというのも正しくない。

それが明らかなのは、ほどんど不可能な寛大さを求めるからではなく(例えば、マフィアや腐敗に関しては、私たちは今まで以上に縁を切ることにのみ努めなければならない)、民主主義はヨーロッパ原産のものではないということを思い出させるためなのだ。民主主義を根付かせるには、時には2兆ユーロの損失が必要となり、時にはアウシュビッツの代償を払い、そしてヨーロッパのほぼ全域で大西洋の向こうから吹く風が必要であった。

ヨーロッパは、EECやEUとともに民主主義を重視し始めたわけではない。ヨーロッパの民主主義は歴史とともにあり、もう少し幅広い歴史的文脈に沿うべきなのだ。そうすれば、そうした重要性をきちんと捉えるているのは我々ほんの一握りに過ぎないということが、わかるだろう。

エルネスト・ガッリ・デッラ・ロッジャ(ERNESTO GALLI DELLA LOGGIA )
(原文)
UN'OCCASIONE PER L'AGENDA DELL'EXPO
La battaglia dell'acqua

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2012年7月18日 (水)

ー大統領の選択ー制度と人物

『コッリエレ・デッラ・セーラ』紙(Corriere della sera)
2012年7月17日

権限を巡る争いは、核戦争などではない。国家権力の範囲を定め、権力の権限を明確にするにすぎない。一方、民主主義は、争いを恐がりはしない。民主主義におていは、ゴミをカーペットの下に隠すよりも、白日の下に晒す方がましなのだ。確かに、痛み止めを配りながら国民を支配しているのは、ことによると独裁者たちなのかもしれない。それでも、ナポリターノ大統領がパレルモ検察庁相手に行った訴訟は例外的なものである。なぜなら、2005年に当時大統領だったチャンピが特赦の権限に関して巻き起こした、たった一つの前例しか見られないからだ。ナポリターノ大統領は前任者とは違い、まだ現職でありながら憲法裁判所の判決を無視する可能性もあり、そうなれば、大統領がこれまでに得た名声を危険にさらすことになる。そしてさらには、この争いが共和国の大統領という役職そのもの、つまり大統領の憲法上の地位まで脅かしているからである。

ところで素朴な疑問だが、大統領を盗聴することは許されるのだろうか?その答えは1989年法律第219号にある。許されるが次の3つの条件があると記載されている。まず第一に、国家反逆罪または憲法違反の罪で議会が大統領に対して弾劾決議する場合。次に、かかる弾劾手続きを受けて、憲法裁判所が大統領を定職を命じる場合。そして最後に、議会の弾劾審査委員会が憲法裁判所の評決を認めた場合である。つまり、大統領はアルベルト憲法時代の国王同様に「不可侵な」存在であるとはいえないが、大統領が現職であるうちは、また議会の決議なしでは、いかなる司法上の措置も実質的には行い得ないのだ。

かかる規定を前に、パレルモ検察庁の側でも3重の塹壕を掘り巡らした。1つ目は、ナポリターノの受益については直接手をつけず、元内相マンチーノの盗聴に関連して捜査を進めること。2つ目は、ともかく大統領の電話での会話は、刑法的には無関係だとみなすこと。そして3つ目は、録音テープはマンチーノに対して利用できるので廃棄していないと主張することである。もっとも、訴訟法で規定されている選別審査を受けたうえでなければ、廃棄自体ができないのだが。

当然ながら、判決を下すのは憲法裁判所である。しかし、いくら論理の刃を用いても判事が盗聴の重要性自体を主張することを受け入れるのは難しい。なぜなら次の2つのケースが考えられるからだ。盗聴が、例えば国家機密を外国勢力に売り渡すといった、大統領を罪に問える2つのうちのどちらかを犯していたことを明らかにするとする。その場合、パレルモ検察庁は、判断の権限を持つ両院議長のどちらかに告訴すべきであっただろう。そうでなければ、盗聴内容を司法関係者に聞かせずに、テープは即座に破棄されるべきである。しかし、そのどちらでもなく、国民誰にでもあてはまるのだが、自分の弁護人と話しているのを盗聴されたとしたら(刑事訴訟法第103条及び271条の規定)、何がおこるだろうか。そしてまた、1997年3月スカルファロ大統領の盗聴に関して、上院は何を定めたのだろうか。このとき高名な憲法学者レオポルド・エリアは、国家元首に対する電話の盗聴は直接であれ間接であれ違法だと宣言した。つまり、人ではなく制度が問題となるというのだ。人は移り変わるが制度は変わらないのだから。

ミケーレ・アイニス(Michele Ainis)
(原文)
LA SCELTA DEL PRESIDENTE
Le istituzioni e le persone

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