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2008年9月

カネッティ『眩暈』 Canetti "Die Blendung"

眩暈(めまい) Book 眩暈(めまい)

著者:エリアス カネッティ
販売元:法政大学出版局
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エリアス・カネッティ(Elias Canetti)という作家は日本ではあまり知られていないけど、1981年にノーベル賞をとっていて、カフカ(Kafka)ブロッホ(Broch)ムージル(Musil)などと並び、20世紀初頭のドイツ語圏文学を代表する作家だ。

で、カネッティを含むここで挙げた四人の作家の共通点は、オーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルグ帝国)とドナウ川とウィーンとユダヤ人。ハプスブルグ帝国とドナウ川はセットになって、よくドイツ帝国&ライン川に対比されるんだけど、そうしたときのキーワードは多民族国家であるかどうかっていうことであって、ハプスブルグ帝国では、1861年にオーストリ・ハンガリー帝国となったことが象徴しているように、ウィーン(とブタペスト)を中心にまとまる多民族国家からなる広大な帝国であった。第一次世界大戦の原因もヴェルサイユ体制の成立と混乱も、元はと言えばハプスブルグ帝国の多民族性に由来しているといっても過言ではないだろう。

で、多民族ということは当然、多言語でもあるわけで、ブロッホを除く先の3人にもう一つ共通することは、3人ともドイツ語の作家でありながらドイツ語は母国語ではないということだ。これは意外なようで当り前のことであって、移民という問題も係わってくるが欧米の作家ではよくある。

で、カネッティは、ブルガリアのドナウ川沿岸、ルーゼという街の出身なのだが、彼の母国語はブルガリア語でさえない。スペインで行われた1492年のユダヤ人追放から逃れてきた先祖が話していた古スペイン語を、カネッティは幼少の頃話していたという。

ちなみに19世紀から20世紀にかけてのハプスブルグ文学、特に中心都市ウィーンの文化はとても豊饒で、池内紀なんかはそこらへんのことについてよく書いていて、興味深い。またクラウディオ・マグリス(Claudio Magris)というイタリアの作家・研究者がいるが、パプスブルグ帝国内のこれまた豊饒なユダヤ人文化を発掘し分析しており興味深い。

ところでカネッティはノーベル賞を1981年に受賞するのだが、代表作は何かというと、初期の作品『眩暈』(Die Blendung)であり、これは日本語でも翻訳されている。訳したのは池内紀であって、30 年以上前に訳したということもあって訳は古く読みにくいことは否めないが、カネッティの複雑で独特な文章をよく訳したなあと、感心してしまう。

『眩暈』は、「世界なき頭脳」、「頭脳なき世界」、「頭脳の中の世界」の三部に分かれている。

優秀で名声もある東洋学者ペーター・キーンは、周囲と係わらないように孤高を貫いて生きており、本だけが彼の現実である。しかしあるとき、誤解から自分より20歳も年上の家政婦テレーゼと結婚することになる(世界なき頭脳)。それを気にキーンは周りの世界と係わっていくのだが、お互い世間からずれていながらも自分だけはまともだと信じているキーンとテレーゼの二人は、誤解が頂点に達して、キーンが莫大な蔵書をおいて家を出ることになる。外の世界で傴のフィッツェルレと出会い、周囲の現実に巻き込まれてしまう(頭脳なき世界)。『眩暈』は、群衆に巻き込まれて狂気に陥っていく知識人を描いているのだが、群衆でもあり知識人でもある、キーンの弟、精神病院長をしているゲオルグの存在が重要となる。キーンの金をせしめるため、キーンになりすまして打った「僕は狂っている」というフィッツェルレの電報を受け取ったゲオルグは、兄キーンの下にかけつける。完璧な社会的人間で名声もあるゲオルグは、いつの間にか精神病院の患者と話すことが生きがいとなっており、兄も精神病患者と同じように扱ってしまう。キーンの話を自分なりに解釈し、首尾よく解決したつもりでパリに帰ってくるのだが、結局キーンの狂気はまったく治っていない。それもそのはず、社会に溶け込めず狂気になった群衆の一人である精神病患者と、社会を拒絶し、知性でもって群衆を超越しているキーンは、全く違うものである、ゲオルグにはそれが理解できなかった(頭脳の中の世界)。

Book オーストリア文学とハプスブルク神話

著者:クラウディオ マグリス
販売元:書肆風の薔薇
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クラウディオ・マグリスは、20年ほど前に、その名も『ドナウ川』(Danubio)という本を書いていて、毎年ノーベル賞候補になっているのだが、そこでカネッティと『眩暈』について触れている。マグリスはカネッティのルーゼの生家に行ってカネッティの自伝を読むのだが、そこでは、ほぼ処女作ながら唯一の大作『眩暈』についても、まだ有名でなかった30年前の自分についても、そして何がこのような特異な小説を書かせるようにしたのかなどについても、全く触れていない。マグリスによれば、この作品は、「まったく何も語らないと同時にあまりにも多くのことを語りすぐている」からだとういうのだ。

そんなわけで、マグリスのことはまた詳しく述べるとして、カネッティを始めとするハプスブルグ文学、ブルガリア文学、ユダヤ文学、カネッティ、などなどについては、ものすごく興味があるんだけど、全くわからないことだらけであるので、誰かに教えを乞いたいと切に願う今日この頃です。

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私たちの家で A casa nostra

フランチェスカ・コメンテチーニ(Francesca Comentini)監督の『私たちの家で』(a casa nostra)を見ました。

コメンチーニは、『パンと恋と夢』(Pane, amore e fantasia)の監督ルイージ・コメンチーニの娘さんで、親の七光か?と誰もが思ってしまうけど、それだけではなさそうでけっこう面白い映画を撮っている。

※参考までに

パンと恋と夢 DVD パンと恋と夢

販売元:ビデオメーカー
発売日:2008/05/29
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『私たちの家で』は、去年(2007年)のイタリア映画祭でも上映されたらしいので、日本でも知られているのだろう。

ミラノを舞台にお金が価値をもつ現代警笛をならす作品、みたいなことをコメンチーニ自身が言っていたが、そういったテーマは映画からあまり感じられない。それよりも、様々な人物をうまいこと絡み合せて、最後に「ああ、なるほど」と思わせるような作り方で、アルトマンの『ショートカッツ』の小型版のような感じで、面白かった。

銀行家のウーゴを演じたルーカ・ジンガレッティ(Luca Zingaretti)や財務警察を演じた主演女優ヴェレーリア・ゴリーノ(Valeria Golino)などもいい味を出していたが、やはり面白かったのはジュゼッペ・バッティストン(Giuseppe Battiston)。ソルダーティの作品などによくでてくるし、毎年のイタリア映画祭上演で、今年の映画祭では、一日観た3本全部に登場していたバッティストン。目が離せないです。

ちなみに、DVDには「作品を語る監督」というのトラックがあったんで見てみたら、ずっと映画を再生しながらコメンチーニが逐一解説してくれるというもので…気づいたら2回同じ映画を見てました。人物関係とかがよくわかりました。よくあんなトラック作ったなあ、と脱帽しています。

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エウジェーニオ・パチェッリ、ピウス12世(Eugenio Pacelli, Pio XII)

1943年7月19日、ローマの7大聖堂の一つサン・ロレンツォ大聖堂は空爆を受ける。崩れ落ちたサン・ロレンツォ大聖堂の瓦礫の中に毅然として立ち、絶望するローマ市民を勇気づける、白い法衣のローマ教皇ピウス12世(Pio XII)の写真がある。

まるで地上に降り立った神の使いのようなピウス12世のその姿は、10日後のファシスト大評議会で全ての権力を失うこととなる、イタリアの統領(ドゥーチェ)ムッソリーニ(Mussolini)とは対称的で、ローマの本当の主は誰なのかを知らしめるに十分であった。

ローマはカトリックの都であったが、ナポレオン侵略以来、教皇は実質的な力を持てずにいた。1948年には、ピウス9世がローマから逃亡したことにより、マッツィーニ(Mazzini)やガリバルディ(Garibeldi)らも参加したローマ共和国が、1年半という短期間ながら誕生してしまうほどであった。

そして、1970年には新生イタリア王国軍がローマを占領する。かつてローマから逃亡したピウス9世はヴァチカンに閉じこもり、カトリック教会はイタリア王国と敵対関係になる。以後60年ほど、カトリック教会はイタリア王国を認めず、イタリア王国もカトリック教会を正式に認めない状態が続き、1929年にピウス11世とムッソリーニがラテラーノ条約を結ぶことで漸く、カトリック教会およびイタリア王国はお互いを正式に認めることになる。

ラテラノ条約は歴代教皇の所在地であったサン・ジョヴァンニ・インラテラーノ大聖堂で結ばれた三つの条約の総称で、①ヴァチカン市国の成立させた条約、②経済条約、③”コンコルダート”と称される政教条約、から成る。これによりカトリック教会は経済的に一息ついたが、ファシズム政権の消極的な”協力者”とみなされてしまう。こうしてカトリック教会はファシズム政権に実質的に従属し、本当の意味で教皇が独立するのは、冒頭で触れたピウス12世期のムッソリーニ失脚後であった。

さて、前置きが長くなったが、その教皇ピウス12世について、大澤武男の『ローマ教皇とナチス』という本が詳しく述べている。

ローマ教皇とナチス (文春新書) Book ローマ教皇とナチス (文春新書)

著者:大澤 武男
販売元:文藝春秋
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ピウス12世の本名はエウジェーニオ・パチェッリ(Eugenio Pacelli)。生粋のローマ人で、家は代々教会法顧問として教皇庁に勤務してきた。

「ゆるぎない深い信仰を持ち、その名が示すように《敬虔》(イタリア語の”ピオ”は”敬虔”という意味)に徹した、高潔なピウス12世の人格を知れば知るほど、ナチス・ドイツに対する好意とその犯罪に対する沈黙は不可解というほかはない」という一文がよく表しているように、この本では、ピウス12世のドイツとの関わりやその反共産党・反ユダヤ主義の根本にあるもの、また、その結果としてヒトラー(Hitler)とナチスを最後まで批判できなかった理由と、そのことに対する良心の呵責と苦悩などが、多少図式的すぎるとはいえ、詳細に述べられている。

詳細なムッソリーニ伝を著した歴史家レンゾ・デ・フェリーチェ(Renzo de Felice)が、1929年~1936年までを扱った第3部第1巻の副題を「合意の時代」として、イタリア国民やカトリック教会のファシズム政権に対する「共感・合意」を分析して以来、イタリアでもファシズム政権を支持してさえいたカトリック教会側の罪について議論されることがある。

その「合意時代」の始まりの1929年というのが、先に述べたムッソリーニとカトリック教会による政教協定ラテラーノ条約(patti Lateranensi)が締結された年にあたる。一方、ドイツのナチスへのカトリック教会の「合意」を考える上で重要なのが、1933年7月の政教条約・コンコルダートである。

ナチス政権というのはイタリア・ファシズム政権よりもはるかに短く、ヒトラーが首相になったのは1933年の1月である。ナチスとカトリック教会がコンコルダートを結ぶわずか半年前であり、カトリック教会も諸外国も、反共の砦として、多少胡散臭くても目をつぶってナチス政権を歓迎していた時期でもあった。

ところで、ラテラーノ条約、ナチスとのコンコルダートとも前任のピウス11世が教皇のときに結ばれたのだが、この本の著者・大澤さんが指摘するように、前者はパチェッリ(ピウス12世)を引き立てたヴァチカン国務長官ガスパッリ(Gaspalli)が、後者はパチェッリ自身が国務長官として結んだものである。

イタリア、特にローマではピウス12世の人気はとても高く、ナチスとの関係を批判するときも何だかトーンが下がってしまっている傾向がある気がする。その点、この本の著者は、ドイツ・ユダヤ人史を専門にしていることもあってか、最終的にはナチス政権を名指しで批判したピウス11世と、ホロコーストを知っていながらも最後までナチスとヒトラーを批判しなかったピウス12世の違いを鮮明にし、苦悩しながらもナチスに妥協し続けたピウス12世の否を指摘している。また、クロアチアのパヴェリッチ政権を支持したことにも触れているが、これはあまり語られることがないが、ピウス12世を語る上では重要なことだと思う。

とはいえ著者は一方的に教皇を批判するだけではない。「沈黙した教皇をとがめるならば、連合国側のユダヤ人に対する冷淡な態度も同時に追及しなけらばならない」と言い、ナチスのユダヤ人迫害を止めることができなかった理由の一つとして、ヨーロッパ文化に潜在的に、そして深く根差す反ユダヤ主義を挙げている。

確かに、英・仏、そして米は、最後の最後までスターリンよりもヒトラーの方に親近感を持っていたようである。それは反共というイデオロギーの問題に加えて、人種的な問題も関係してくるのではないだろうか。

例えば、アウシュピッツなどドイツの絶滅収容所では人種のヒエラルキーがあったそうだ。大まかにいうと、ドイツ人>アングロ・サクソン>ラテン人>スラヴ人>ユダヤ人・ジプシーの順で差別化されていたそうだ。これはヨーロッパ人全体に今でも無意識に残る考え方ような気もするのだ。さらに言えば、汎スラヴ主義なども、こういった図式に対する反発と見ることができるかもしれない。

それでは日本人はどこに位置するのであろうか。ドイツ・イタリアの同盟国であったが、実際にヨーロッパ人はどう思っていたのだろうか?そして、ナチス政権、ファシズム政権、ともに中枢部に近いところにいたピウス12世、ひいてはカトリック教会は、日本という国をどのように考えていたのであろうか?

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ナポリのティフォージ

ナポリは毎度お騒がせな街でして…

ゴミ問題、ゴミ廃棄に関わるダイオキシン汚染、恒常的なカモッラの存在に加えて、今回はサッカーのフーリガンが問題になった。

かつてマラドーナを擁してカンピオナーレに二度も輝いたセリエAのナポリも、今やセリエA~Cを行ったり来たり。それでも今年はセリエAに帰りさいた。

その開幕戦の日の朝。

ナポリ駅には、棍棒や爆竹を持った1500人ほどのティフォージ(フーリガン)が押し寄せ、乗客を無理やり降ろしたんだか、怯えて自発的に降りたんだかして、ローマへ向かう列車を占領してしまう。

で、ここで問題になっているのは、不測の事態に備えて動員された警官の目の前でその光景が行われたということで、まあナポリでは、カモッラの抗争にナポリ全市民が参加してバトルロワイヤルでもやらかしたら不測の事態になるのかもしれないから、フーリガンが騒いでも想定の範囲内なのかもしれない。

ティフォージは当然、試合中だけでなく、帰りもてんやわんや。切符も持たずに列車に乗り込み、爆竹はならす、窓やトイレを壊すなど、50万ユーロ(7800万円ほど?ほんまかいな?)の損害だとか。

で、ここでも少し問題になっているのは、ナポリでティフォージがローマに行くのをとめられず、またローマで切符もないのに結局ナポリ行きの列車に乗せるを止められなかった、警察や県知事たち。

結局ナポリのティフォージたちは、セリエA開催期間中の移動が禁止されるよう、

というのも、警察の元締め内務省は公式の見解を表明していないが、内務大臣マローニがテレビのインタビューでそうした措置を確認した。

マローニはまた、ティフォージを犯罪者と断定し、ナポリ警察やナポリ県知事の対応に足しては「誤った判断をした」と発言。

それが厳しい判断だとは思わないし、マローニがことさらナポリを目の敵にしているとは思わないが、

マローニはもともと…

輝ける60年代後半には極左組織に属し、その後ウンベルト・ボッシと出会い北部同盟に加盟。パダーナ共和国設立を画策し破棄院(最高裁みたいなもの)で有罪判決を受けたこともある。ナポリを「下水のごみダメ」とまでいったカルデローリと同じ穴の狢である。

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ゲーテッドダウン

最近、物騒な日本でもゲッテッドタウンができてきているらしいですね。

http://sankei.jp.msn.com/photos/life/environment/080901/env0809010753000-p1.htm

まるでアメリカのコミュニティーです。

で、これを見て思うのが、日本という国であって、

周りから隔離されて、「高級感」がある。そして

「内部の住人も犯罪性を呼び覚まされることがあるので、住人同士いつもふれ合い“見える”関係になることが必要だ。内部で育った子供は外部の子に比べ、防衛能力の開発を怠りがちで、外に出たときに犯罪被害に遭いやすい。タウン内で教育や通院、買い物など全生活が完結することはあり得ず、外部の人を中に入れるか、自分たちが外に出るかしないと生活は成り立たない。結局、内も外も安全な場所にする以外に真の安全は成り立たない」

という構図がそのまま当てはまるような…

といってもやはり、外国と比べると、日本は安全な国でそれは誇るべきことでもあるとは思うんですが、どうなんでしょうねえ。

それとも一部の人が主張するように、率先して移民を受け入れるべきなのでしょうか?ま、日本の現状に即すと、大混乱を引き起こすと思いますが…

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