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カネッティ『眩暈』 Canetti "Die Blendung"

眩暈(めまい) Book 眩暈(めまい)

著者:エリアス カネッティ
販売元:法政大学出版局
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エリアス・カネッティ(Elias Canetti)という作家は日本ではあまり知られていないけど、1981年にノーベル賞をとっていて、カフカ(Kafka)ブロッホ(Broch)ムージル(Musil)などと並び、20世紀初頭のドイツ語圏文学を代表する作家だ。

で、カネッティを含むここで挙げた四人の作家の共通点は、オーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルグ帝国)とドナウ川とウィーンとユダヤ人。ハプスブルグ帝国とドナウ川はセットになって、よくドイツ帝国&ライン川に対比されるんだけど、そうしたときのキーワードは多民族国家であるかどうかっていうことであって、ハプスブルグ帝国では、1861年にオーストリ・ハンガリー帝国となったことが象徴しているように、ウィーン(とブタペスト)を中心にまとまる多民族国家からなる広大な帝国であった。第一次世界大戦の原因もヴェルサイユ体制の成立と混乱も、元はと言えばハプスブルグ帝国の多民族性に由来しているといっても過言ではないだろう。

で、多民族ということは当然、多言語でもあるわけで、ブロッホを除く先の3人にもう一つ共通することは、3人ともドイツ語の作家でありながらドイツ語は母国語ではないということだ。これは意外なようで当り前のことであって、移民という問題も係わってくるが欧米の作家ではよくある。

で、カネッティは、ブルガリアのドナウ川沿岸、ルーゼという街の出身なのだが、彼の母国語はブルガリア語でさえない。スペインで行われた1492年のユダヤ人追放から逃れてきた先祖が話していた古スペイン語を、カネッティは幼少の頃話していたという。

ちなみに19世紀から20世紀にかけてのハプスブルグ文学、特に中心都市ウィーンの文化はとても豊饒で、池内紀なんかはそこらへんのことについてよく書いていて、興味深い。またクラウディオ・マグリス(Claudio Magris)というイタリアの作家・研究者がいるが、パプスブルグ帝国内のこれまた豊饒なユダヤ人文化を発掘し分析しており興味深い。

ところでカネッティはノーベル賞を1981年に受賞するのだが、代表作は何かというと、初期の作品『眩暈』(Die Blendung)であり、これは日本語でも翻訳されている。訳したのは池内紀であって、30 年以上前に訳したということもあって訳は古く読みにくいことは否めないが、カネッティの複雑で独特な文章をよく訳したなあと、感心してしまう。

『眩暈』は、「世界なき頭脳」、「頭脳なき世界」、「頭脳の中の世界」の三部に分かれている。

優秀で名声もある東洋学者ペーター・キーンは、周囲と係わらないように孤高を貫いて生きており、本だけが彼の現実である。しかしあるとき、誤解から自分より20歳も年上の家政婦テレーゼと結婚することになる(世界なき頭脳)。それを気にキーンは周りの世界と係わっていくのだが、お互い世間からずれていながらも自分だけはまともだと信じているキーンとテレーゼの二人は、誤解が頂点に達して、キーンが莫大な蔵書をおいて家を出ることになる。外の世界で傴のフィッツェルレと出会い、周囲の現実に巻き込まれてしまう(頭脳なき世界)。『眩暈』は、群衆に巻き込まれて狂気に陥っていく知識人を描いているのだが、群衆でもあり知識人でもある、キーンの弟、精神病院長をしているゲオルグの存在が重要となる。キーンの金をせしめるため、キーンになりすまして打った「僕は狂っている」というフィッツェルレの電報を受け取ったゲオルグは、兄キーンの下にかけつける。完璧な社会的人間で名声もあるゲオルグは、いつの間にか精神病院の患者と話すことが生きがいとなっており、兄も精神病患者と同じように扱ってしまう。キーンの話を自分なりに解釈し、首尾よく解決したつもりでパリに帰ってくるのだが、結局キーンの狂気はまったく治っていない。それもそのはず、社会に溶け込めず狂気になった群衆の一人である精神病患者と、社会を拒絶し、知性でもって群衆を超越しているキーンは、全く違うものである、ゲオルグにはそれが理解できなかった(頭脳の中の世界)。

Book オーストリア文学とハプスブルク神話

著者:クラウディオ マグリス
販売元:書肆風の薔薇
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クラウディオ・マグリスは、20年ほど前に、その名も『ドナウ川』(Danubio)という本を書いていて、毎年ノーベル賞候補になっているのだが、そこでカネッティと『眩暈』について触れている。マグリスはカネッティのルーゼの生家に行ってカネッティの自伝を読むのだが、そこでは、ほぼ処女作ながら唯一の大作『眩暈』についても、まだ有名でなかった30年前の自分についても、そして何がこのような特異な小説を書かせるようにしたのかなどについても、全く触れていない。マグリスによれば、この作品は、「まったく何も語らないと同時にあまりにも多くのことを語りすぐている」からだとういうのだ。

そんなわけで、マグリスのことはまた詳しく述べるとして、カネッティを始めとするハプスブルグ文学、ブルガリア文学、ユダヤ文学、カネッティ、などなどについては、ものすごく興味があるんだけど、全くわからないことだらけであるので、誰かに教えを乞いたいと切に願う今日この頃です。

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受信: 2009年10月11日 (日) 20時40分

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